エッチで抜ける体験談

オナニーのおかずになるような抜けるエッチな体験談をまとめています。画像や動画ではなく文字で抜きたい人におススメです

    タグ:父親

    えみさんからの投稿
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    私のエッチの相手は、お父さん。
    高校生の時、学校が終わって家に帰ると珍しくお父さんが居間でテレビ見てた。
    会社から早く帰ったみたいで、私も試験が終わって早く帰って来たので私たち2人だけだった。
    その頃のお父さんは仕事のストレスがめちゃくちゃ溜まってたみたいで、私も彼氏とケンカばかりしてて、むしゃくしゃしてた。
    だから、私からモーションかけたのかな。
    ソファに座ってるお父さんの近くで見えるように制服を脱いで着替えて、一緒にソファに座った。
    顔近づけて甘えてボディータッチしたら、お父さんも笑いながら私の胸元や足をチラチラ見始めた。
    勢いで「もうっ」って言いながら抱きついたら、床に押し倒されて、胸やお尻をいやらしい手つきで触られちゃった。
    つい声が出たら、キスされて、上の服を脱がされそうになったから、
    「私の部屋に行こっ」
    って誘った。
    我慢できそうにない顔してたから、お父さんの手を引いて、私のベッドに連れて行った。
    部屋に入ると、ベッドに押し倒されて、全部脱がされた。 【【父子相姦】試験日で早く終わって家に帰ったらお父さんが居間でテレビ見てた【エッチ体験談】】の続きを読む

    俺は妻と高2の娘と3人暮らしで最近娘が可愛く思えるのと同時に娘は反抗期です。
    そんなある日妻が「私先にお風呂はいるわよ」とお風呂に言ったのを確認すると俺は娘の部屋を開け中を覗くと娘がベットでくつろいでいました。
    俺はもう我慢できなくなりそ~と中に入ると娘の上に乗った。
    娘は何が起こったか理解できなくなっていて俺は娘を仰向けにした。
    そして娘の服を剥ぎ取った。
    さらに娘は抵抗したが俺はかまわずブラの上から胸を揉んだ。
    Dカップぐらいはある胸で柔らかかった。
    俺は娘が騒ぐので娘のブラを外し口に猿轡として押し込んだ。
    娘の胸を生で見たのは娘が小学生のとき以来でとても大きくなっていました。
    俺は娘の乳首を舐め始め俺は吸ったり舌で先を舐めたりいろいろした。俺は娘のズボンを脱がしパンツに手をかけるとまた抵抗をはじめた。
    俺は一旦自分の部屋に行きロープを持っていき娘の両手を縛るとベットの金具に結んだ。
    そしてパンツを脱がすと俺は娘のマンコに指を入れ出したり入れたりした。
    娘は黙ったまま泣き出した。
    俺は娘を無視して自分のズボンとパンツを脱ぎチンコを出した。
    「入れるぞ」と娘のマンコに挿入した。 【妻が風呂に入ってる間に高校生の娘を【エッチ体験談】】の続きを読む

    子供の頃、両親,妹,私の四人でふとんを並べて寝ていた。父、妹と母、そして私の順番であった。ある夜、ふと目が覚めると母が手洗いに立ち、戻ってくると妹と一緒のふとんに戻らず、父のふとんに、、、、、ふとんが盛り上がり、チュッ、チュッとキスする音が、、、、、、、、
    何も会話は聞こえず、、、そのうちにチュバッ,、、チュバッっとキスというより、吸い付くような大きな音が、、、、それがしばらく続き、
    微かな話声がひとつふとんをへだてた、1、2mむこうから聞こえてきた、なんだか分からないが、聞こえてはまずそうにほんの微かな声であった。ただ、不愉快そうな感じではなく、嬉しそうな、雰囲気は中身は分からなくても私にも感じ取れたのを今でも覚えている。
    ヒソヒソ声の間、ふとんがゆっくりうねっているのが薄明かりのなかでも感じ取れた。話をしながら、お互いに抱き合いながら何かをしているのだな〜、、、と思いつつ、ソレがなんであるかははっきりわからない、、、と耳を澄ましていると、、、小山が盛り上がり、、何か畳が揺れだし、、ふとんがスレスレする音がし始め、、母がひそかに笑うような、泣くような、変な声を出し始め、時々鼻水をすすり始め、、父が母を泣かしている???、、そして父がひそかに、、いいか、いいか、、とささやき始めたら、畳がゆさゆさし始め、部屋がミシミシ音を立て始め激しくふとんが動き,母の、あん、あん、というような嬉しい?悲鳴がして、、、静かになった。しばらくして母が手洗いに立ち、戻ってくると妹のふとんに入った。部屋の柱時計がボ〜ンと一時を打った。私は目が覚めてしまって明け方まで寝られなかった。
    そんなことがあったことも忘れてしまって別部屋で寝るようになった中学生になった夏、ある夜、見てしまった。
    寝間着の前をはだけて親が抱きあい、父が母の乳房に大きな音を立てて吸い付いているのを、、そしてその後、母のオマンコをいじくったり
    足を開かせ舐め回したり、母は母でチンポを握って目をつぶって微笑んでいたり、、、それが済むと、、、父は母に足を開かせ、本番に、、、
    両手を母の脇腹の横に付き、ゆっくり、ゆっくり、腰を動かす。母の口からよがり声が漏れる。例のうなされているような、含み笑いが、、、
    それが、すすり泣きに変わり始めると母の両足を肩に担ぎ、恐ろしい勢いで抜き差しを、、、間もなく、射精したらしく母の上にうつ伏して、
    荒い息をしていた。母は父の背中や腰の周りをなで回していた。わたしは、そ〜っとその場を離れた。
    こんなことは当人にとっちゃ、すごい事件だろうが、たぶんどこの家庭でもよくある一コマだろうな。
    それから、私も大人になってヨメが出来、夜になれば、オマンコをいじりまくり、チンポが立てば、股を開かせ、チンポも折れよとばかりにつきまくり、よがるヨメの子宮に向かって発射しつつ、好きよ、愛してるわあ〜とか云いながらチンポを締め上げてもらいながら、人並みのセックスライフを噛み締めている日々です。

     私の子供の頃は、男子は丸刈り、女子はオカッパか三つ編みが普通だった。それでもって、こどもの床屋は親がやるのが通り相場だった。
    たいてい母親がバリカンで刈り、首筋とか顔を剃るのが父親がやっていた。庭にいすを出し、首の周りの風呂敷を巻き、落ちた髪の毛は庭ほうきで掃除した。床屋がないわけではなかったがそれだけまずしかったのだ。その当時の日本は。どこも同じだったからソレを貧しいとか恥ずかしいなんて思いもしなかった。首筋なんかを剃るのは父親の仕事で風呂に一緒に入り、洗い場で父がひげを剃るカミソリで剃ってもらった。なあんて書くと、どこがエッチな話かと。
     オヤジにじっとしてろと怒られながら、剃ってもらい、その後、オヤジは洗い場の壁にぶら下げてある鏡を見ながら自分のひげを剃るのがいつものパターンであった。私は湯船につかりながら、オヤジが立ってひげを剃るのをみながら、ちょうど自分の目の高さにあるオヤジのチンポによく見とれていた。それはこどもの目から見ればグロテスクな逸物であり、先っぽには完全にムケ返っているでかい亀頭が付いていた。子供心に自分の朝顔のつぼみみたいな細いのとは大違いなのに興味津々でありました。母親ともよく入ったので、ふっくらした土手にふんわりした恥毛が生えていてその下あたりから割れ目がある。洗い場にタワシをかけるときに後ろから見えるお尻の穴と割れ目の間は繋がっていず、そのへんにもわずかながら薄い恥毛が生えていた。まだ、ぼっきもはじまってないガキでも結構興味を持っていた。らしい。
     精通が始まり、チンポが立ち始めてからは当然一人で入るようになり、そんなある晩、洗い場で洗っているといつものようにチンポが立ち上がり、大砲のように突き出した状態になった。、その時ガラッと窓が開き、母親が覗き込んだ。「湯加減はどお?」とっさに湯桶で股を隠したが、勃起してムケた亀頭が母親の目に入ったらしい。瞬間的に窓が閉められた。母親にとって息子の勃起したチンポはどう感じたろう。
    すっごい!息子もおとななんだとおもったかどうか、それから、母親はいきなり開ける事はなくなった。
    その頃になると、かつて見とれていたオヤジのムケかえった巨大な亀頭が夜に母と同衾すると固く反り返り、洗い場で見た母の柔らかく閉じた割れ目を押し広げ、巨大な陰茎は母の愛液にまみれながら、なんども抽送されたりして、睦言を云いあいながら、おびただしい精液が堰を切って子宮口に吐き出される。そんな妄想が頭の中を駆け巡ってばかり居た。お風呂で剃ってもらっていたのは小学校の低学年だったから、その後妹が生まれている。よくその頃、祖母が一緒に寝ようと誘ってくれていた。アレはそういうことだったのか。両親二人きりの閨房で子種を宿すべく奔放に、夫婦のお楽しみを満喫していたのだ。当時,私8歳、そうすると母は29歳父は34歳か。そりゃ、種付けでなくても
    やりまくり時代だったか。そうだなあ、子が学校へ上がって手が空いて、夫婦生活に関心が戻り、成熟したカラダになっている母を男盛り、
    チンポのたち盛りの父がほおってはずがない。母のオマンコは毎晩乾く暇もなかったとおもう。いや、母が父のチンポなしで寝られなかったのが正解か。そういや、あの頃、母の敷きふとんだけ下半分にバスタオルがひいてあった。当時はなんで母だけ?っていうと「お母さんは夏でも腰が冷えるから、、」といってたが、あれは父の精液や母の愛液で敷きふとんが汚れるからだったんだな。よくあのタオルは洗濯してたなあ。そういや、夜中に小用に立った時、便所で母とはち合わせ、母がしゃがんでるのを見たけど、寝間着をまくって用を足してたけど、
    その下にパンツを履いてなかったなあ。、まだある。風呂から上がった父がパンツを履かず、前に宛てがってうろうろしてたのを、母が「はきなさいよ、みっともない」とたしなめたら、「今日はパンツをはかずにせにゃならんことがあるから」といったらだまってしまった。
     

    こんにちは。
    私は21歳の女です。去年、高校時代から付き合っていた彼氏と結婚しました。
    今日は、私が高校1年生のときの夏休みの経験を話しますね。
    私は、子供の頃から母親と関係がうまくいっていませんでした。
    高1の夏休み、私は母親と大喧嘩して家出しました。
    でも、子供の私に行く宛もなく、当時仲良かった男子グループの中で一番家が近い男の子に電話しました。
    その男子も、親と仲が悪く、以前から気が合うなと思っていた子でした。
    名前はK君ってことで。
    でもK君も親と関係が悪いので、私がその子の家に押しかけるのは出来なかったんです。
    ところがK君は、俺もM美(私)の家出に付き合ってやるよって言ってくれました。
    とは言っても、まだふたりとも子供で、大したお金も持ってないし、私一人だろうが、K君と一緒だろうが、
    あまり事態に変わりなかったんです。
    幸い夏場だったんで、少ないお金を使いながらご飯食べたり銭湯に行ったり、夜はファミレスで寝たり公園で野宿したりしてました。
    でもさすがに3日めに、そろそろお金もなくなるし、いつまでも野宿なんか出来ないし、なんとかしなくちゃって話になりました。
    K君は、「とりあえず親に連絡したら?俺もするから。」 【叔父にレイプされた体験 その1【エッチ体験談】】の続きを読む

    話は3年半前まで、逆上ります。
    4月になって間もない頃、父の職場から電話がありました。それは、作業現場から転落し、病院に搬送されたというものでした。幸いにも、左腕の骨折だけで済み、命に別条はありませんでした。しかし、父と母はいわゆる『熟年離婚』をした直後であり、職人気質で亭主関白の父は、家事どころかお茶の一つも入れられない程。その上、骨折しての不自由な生活という事で、数年ぶりに実家に戻りました。
    実を言うと、その当時、すでに私と夫は完全に冷め切っており、酒に溺れては手を上げる夫から逃げる様に出て来たのです。
    当初、父はかたくなに「お前の助けなどいらん。」と頑固に言い張っていましたが、やはり不自由な事に直面し、私が手を差し出す事にも文句を言わなくなる様になっていました。
    数ヶ月後、怪我も完治。それでも私は、ずっと実家に残りました。毎朝父にお弁当を作り、夕食を用意し帰りを待つ。そして父の為に家事をこなす。何でもない、そんな平凡な毎日を穏やかに過ごせる事に、ささやかな幸せを感じていたのです。
    2人の離婚の原因は、仕事ばかりで家庭をかえりみない父に、母が愛想をつかした、というものでしたが、私には分かりませんでした。だってこんなにも一生懸命に働いてくれているのに…。他にも理由はあったかもしれませんが、それでも昔ながらの男くささを感じさせる父と平和に暮らせる事に、感謝の気持ちで一杯でした。
    だけれども、この時の私は、父に対する本当の感情にまだ気付いてはいませんでした…。
    半年程経った12月のある日、父が突然、「たまにはどこかへ出掛けるか。どこでも好きなとこ選べ。」と言い出したのです。面と向かってははっきり言いませんでしたが、私への感謝のつもりだった様です。父にも意外に可愛い所があったんですね。どこにしようか迷いましたが、思い切って海外旅行をおねだりしてみると、あっさりとOKが。こうして冬休みをずらして、1月半ばから一週間フィジー旅行へ行く事になりました。
    初めて行くフィジーは、正に楽園でした。真っ青な空に白い砂浜、透き通る海に眩しいばかりの太陽。ホテルも、いわゆるホテルではなく、広く続くプライベートビーチにペンションが点在するという所。ログハウス調の建物にプールまで付いていました。
    到着した日はそのまま休み、翌日からは日々の生活を忘れ、ビーチで遊び楽しい一時を過ごしていました。
    しかしその時、予想もしていなかった気持ちに気付きました。さすがに南国、照り付ける日差しがきつく、背中に日焼け止めクリームを父に塗って貰った瞬間、心臓がドキドキ高鳴り始めたのです。ゴツゴツした指が私の背中を撫でる感覚に、僅かながらも戸惑った事は確かでした。しかしそれもあっと言う間。深く考える事もせず、再び2人で海辺で過ごしました。
    ですが、今思い返せば、父を意識した瞬間はこの時が初めての時でした。
    その後も街へ繰り出し、夜には、満天に煌めく星空の下、プールサイドのデッキで父はビール、私はワインを楽しみ、夜でも火照った体をプールでクールダウンさせたりしてリラックスした時を過ごしていました。
    が、次の瞬間、確かなる父への想いに直面する事に…。
    それはたわいもない場面でした。年甲斐もなく私達は、プールの水を掛け合ったり、中に引きずり込んだりしてはしゃいでいました。そして息も苦しくなり水面に上がると、すぐ目の前に父の顔が…。なぜだか目が合ったまま、2人共体が固まって動けなくなっていました。父の目を見つめ、吸い込まれそうになる…。確かにその中には、父娘の関係を越えた、欲望に満ちたものがあったのです…。この時が父と私の中に、『男と女』が芽生えた瞬間でした。金縛りにあったまま、自然とその距離が10cm、5cmと縮まって行き、遂には唇と唇が触れ合う…。 【いけない関係【エッチ体験談】】の続きを読む

    俺は生まれてから一度も親に笑顔を向けられたことがなかった。
    というより、邪魔者扱いされていた。
    なんでかはわからない…
    顔だって悪くないし、道を外したこともしてない。
    どんなに考えても理解できなくて、毎日1人で飯を食べていた。
    そんなある日だった。
    俺が授業参観に親が来なかったのをクラスメイトにバカにされて、カッとなって殴ってしまい、親が呼び出された。
    その日の夜、俺は何も食べ物を与えられず、空腹で我慢ができなくなりこっそり食べ物を探すことにした。
    すると台所から両親の話し声が聞こえた。
    最初はマズイ!と思ったけど、話を聞いてみると俺の話だった。
    短くまとめると、俺は昔母親がレイプされたときに出来た子供で、降ろすと二度と子供のできない体になるから仕方なく産んだらしい。
    俺は最初、死のうかと思った。
    そして、我慢できないほどの怒りを覚えた。
    俺は悪くないのに…
    何で俺が… 【裏切り【エッチ体験談】】の続きを読む

    私は、変態です。今27歳でご主人様が 7人います。
    大阪に2人.福岡に1人.都内に4人です。色んなプレイで楽しませてくれます。
    こんな身体になったきっかけは、9歳の頃から受けた。実父からの悪戯です。
    エスカレートした父から12でロストヴァージン 14で父の借金相手4人に廻されて、調教されました。
    アナル 浣腸 ディープスロート フィストバック 視姦 放置 青姦 中出し
    中3で、2回堕胎
    このままでは、危ないと思い、中学卒業を期に東京に逃げました。
    でも、不の連鎖は、続くんですね。 24歳までの5人の彼氏は、みんなDV野郎ばかり
    人生に嫌気がして、自殺も考えた。
    そんな時 出会ったのが、優しい彼氏 ある程度 嫌々ながらの経験ある私が
    セックスが嫌いな訳を打ち明け、理解してくれて、徐々にセックスの素晴らしさを、教えてくれました。
    でも......目覚めたの 段々普通のセックスが物足らなくなるの ある日彼氏と仕事終わりに、公園で待ち合せ
    転機が訪れたわ、露出系の投稿雑誌を拾っちゃった。そこに、M女求むの掲載
    もう、いてもたってもいられず、待ち合せスッポカシて、手紙出して、即逢っちゃった。
    1号ご主人様との 運命の出会い もうそこからは、快楽の日々 【私は、変態【エッチ体験談】】の続きを読む

    俺には二人の娘がいます。
    本当は男の子が欲しかったんだけど・・・
    俺達昔から夫婦は共稼ぎです。俺は公務員で残業などまったくない部署にいます。
    妻は事務員をやっており、残業のオンパレードで娘の世話は妻より俺のほうが多いんじゃないかと
    思うぐらいです。
    特に次女の甘えたぶりはけっこうひどい。
    小さいときから面倒くさいなって思うぐらい甘えてきます。
    寝るときはいつも俺の耳たぶを触りながら寝る^^;
    少し俺も居心地がいいってのも確かにあります。
    ほぼ毎日次女と寝る毎日です。
    そんなある日のことです。
    いつものように一緒に寝てたんだけど、夜中に娘が起きてトイレにいきました。
    これは、めったにないことでしたので、トイレから戻ると
    「どうかしたのか?」って聞くと
    「お腹いたい」って娘がいうので俺はお腹をさすってやってやった 【最愛の娘【エッチ体験談】】の続きを読む

    ちょっと後味悪い話だからご注意。
    かなり前の話だし時効くさいから特定はされないと思う。

    妹:俺の妹2コ下
    彼氏:妹の彼氏バイト仲間
    友子:妹の友達同じくバイト仲間
    親父:俺と妹の父
    うちの親父はスーパーDQNだった。
    パチンカス+サイマー+アル中+婦女暴行の前科持ち。
    お恥ずかしい話だが俺ら一家は生活保護をもらっていた事もある。
    だがおかんはなぜかそんな親父が好きらしく離婚しようとはしなかった。
    何度も離婚してくれと言ったが
    「あの人もあれで優しいところある」
    などと寝言のような事ばかり言い結局死ぬまで別れなかった。
    高3のときおかん病死。 【現実を知らない頭がお花畑な妹の友達【エッチ体験談】】の続きを読む

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