エッチで抜ける体験談

オナニーのおかずになるような抜けるエッチな体験談をまとめています。画像や動画ではなく文字で抜きたい人におススメです

    タグ:昔話

    こんにちは。初めて投稿します。
    皆さんの体験談のように刺激的ではありませんが、40を過ぎた今でも心に残っている女性の事を書かせて頂きます。子供の頃、ある団地に住んでいた私には、同じ年の友達がいました。私は、その友達のお母さん、視姦の対象としておりました。その友達一家とは、幼稚園の頃から家族ぐるみでお付き合いしておりました。その友達とは毎日のように遊ぶ関係が、小学校に入ってからも継続しておりました。
    当時は彼女の事を「○○さんのおばさん」と呼んでおりましたが、ここではT子さんと書く事とします。それまでは、私にとって、T子さんは、ただのおばさんでした。
    おばさん、と言っても、デブデブなんかではなく、水泳とヨガとジョギングを趣味にしていたT子さんはしっかり引き締まった体つきをしていました。他のおばさんたちより頭半分ほど背が高く、その点では目立つ存在でした。取り立てて美人ではありませんが、もちろん醜い訳でもない。おおらかな性格で、いつも優しく、ニコニコしている人でした。
    T子さんが私とってただのおばさんで無くなったのは、忘れもしない小学5年生の夏休みのある日でした。その時、T子さんは28歳だった筈です。団地の広場で野球をしていたところ、土砂降りの雨に見舞われた私は、級友達とわかれ、自宅の棟のエレベーターホールに駆け込みました。エレベーターを待っていると、「ひゃ~!!」と言いながら、ずぶ濡れになったT子さんが、やはり駆け込んできました。髪の毛からポタポタと雨粒を滴らせながら、私に気付いたT子さんは「ああ、○ちゃん(私の事)、すごい雨だね~。」と声をかけてきました。私も「あ、こんにちは!!」と返事をしながら、ふとT子さんを見た時、衝撃が走りました。T子さんの着る、薄手の、無地の、白いTシャツは雨に透けきり、肌に密着していました。
    そして何と、その時T子さんはノーブラで、小振りな乳房とその頂点にそそり立つぶっとい乳首が、
    完全に透け見えていたのです。『うわ、おばさんのおっぱい丸見えだぁ。』私の目は、T子さんのおっぱいに釘付けとなりました。今から40年も前です。当時の子供にとって、大人の女性の胸を見る機会など、せいぜい道端に落ちているエロティック本のグラビア程度なものです。ましてや、生でそんなものを見る事等皆無でした。その瞬間から、私にとってT子さんは、ただのおばさんではなくなり、エロティックな目線で、いわゆる「視姦」をする対象と成り下がったのです。近所のスーパーの袋を両手にもち、走ってきた為息遣いの荒いT子さんのおっぱいや乳首は、その呼吸と鼓動に併せてゆっくりと、そしてプルプルと艶かしく蠢いておりました。
    おなじエレベーターの箱に収まり、何事か会話をしつつ、私の両眼はT子さんの透け乳首をチラチラと盗み見しておりました。T子さんの乳首は、私の親指の第一関節ほどの大きさがありツンと硬くなっているように見えました。その先端から水滴がポトリと落ちた瞬間を、今でもはっきりと憶えております。私のお○ん○んはパンパンになっており、帰宅するとシャワーを浴びる間もなく、書棚のアルバムを片端からめくりました。T子さん一家と我が家は何度も一緒にハイキングや海水浴に行っており、T子さんの写真も数多くその中に収蔵されているからです。そして、改めてその写真を確認してみると、T子さんはほとんど常時、ノーブラでいる事が判りました。山での写真、近所の河原で行ったバーベキューでの写真、日常でのスナップ写真。そのことごとくに写ったT子さんは、ほぼ必ず、その胸の微かな膨らみに、ポッチリと乳首が浮き上がらせておりました。特に凄まじかったのは、1年前の夏に海水浴に行った時の写真でした。競泳用の水着を身につけたT子さんの姿が多数あり、乳首は完璧に浮き立ち、それどころか、股間にはくっきりと縦の一本線が深々と刻まれていると言う、どうにも悩ましいいでたちの写真が何枚もありました。にこやかピースサインを作る友人の横に、その母親が、乳首をくっきりと浮立たせ、その股間は水着をしっかりと銜え込んだ割れ目を晒しながら、やはりにこやかに目線を送っている。めくるめくような背徳感です。自慰行為を憶えたての私は、その写真の数々を見つつ、つい先ほど目の当たりにしたT子さんの乳首を鮮烈に思い浮かべながら、サルのように励みました。それからと言うもの、友人宅に行く私の目的は、もはや彼と遊ぶことではなく、ひと時でも長く、T子さんを視姦する事に切り替わりました。子供の前のT子さんは真にもって無防備極まりなく、私がドロドロとしたいやらしい視線を送っているとは露とも知らず、いつもの通りにノーブラで突き出た乳首を晒すのみならず、スカート姿で三角座りをしてパンティーをじっくりおがませてくれたり、ジュースを出してくれる時に前かがみになり、カパッと開いたシャツの胸元から、生でデカ乳首を見せてくれたり。初めてT子さんのぷっくらとした生乳首を目撃した時には、そのいやらしくも生生しい焦茶色に大興奮したものです…。T子さんは、常に私の期待に応えて、乳首やパンティーを見せてくれたものです。しかし、やはり、全裸を見る機会など全くない。私は悶々としておりました。T子さんの全裸を見たい!! 私の、そん切ない願いは、意外とあっさりと叶えられました。
    小学5年の冬休みに、T子さん一家と共に、某温泉に行った時の事でした。その時のT子さんも相変らずノーブラで、厚手のセーター越しにもデカ乳首を浮かび上がらせておりました。パンツルックだったT子さんですが、屈んだ後姿は、布が弾けるのではと思うほど尻がパンパンで、くっきりとパンティーのラインを刻んでおりました。
    さて、夜も更け、友人は寝てしまい、両親やT子さん夫妻は隣の部屋で飲んでいます。温泉好きの私は、寝付けなかった事もあり、一人で湯船に浸かりに行きました。大浴場には誰もおらず、悠々と広い湯船を独占して楽しんでいると、風呂場の戸がガラリと開き、あろうことか、一糸纏わぬ生まれたままの姿で、T子さんがそそと入って来ました。予想外の出来事に「あ…」と絶句した私は、そう言えば、大浴場は、深夜は混浴になると、宿の人が言っていたのを思い出しました。T子さんは、「あ、○ちゃん」とにっこり微笑みました。恋焦がれた、何度も妄想しては自分で果てた、T子さんの素っ裸がいきなり出てきて、私はドギマギ。T子さんの体は、脂肪で澱んだところがなく、小さな乳と焦茶のデカ乳首が、歩く度、ぷるんぷるんと、エロティックに蠢きます。それよりビックリしたのが、T子さんの股は陰毛が綺麗に剃りあげられ、いわゆるパイパンだった事です。水泳をやる人は体毛を剃る、と聞いた事があったので、T子さんもそうなのか、と思いつつ、幼女のようにツンツルのT子さんの股間と、そこに刻まれ、生で晒されたくっきりとしたクレパス。これにはもう参りました。T子さんはほろ酔いらしく、身体全体が桜色に染まっておりました。その後30分ほどは、夢の時間でした。目の前に、妄想の中で何度も何度も服を脱がせてきたT子さんの、本物の全裸があり、おっぱい、お股の割れ目、お尻、へそ、脇、全てをじっくりじっくり、目で犯せるのです。T子さんにとっては、いつまでも私は「子供」なんでしょう。全く無防備で、私がいやらしい目で自分の肢体をなめまわしているとは思ってもいないようでした。だからこそ、のぼせそうになると、湯船の縁に腰掛けて、火照った身体をあますところなく晒してくれたりもしたのでしょう。「おお、暑い…」と言いながら、膝を緩めて、割れ目の中まで見せてくれたT子さん。白濁した温泉の湯に乗じて、私は、目の前の全裸のT子さんをじゅっくりと見ながら、気づかれぬように自慰をし、ものの数秒で果てました。それからまた、何度もT子さん宅に行っては、胸のポチは当たり前パンチラも珍しくなく、T子さんの所有するパンティー(白とベージュ、少数のパステルカラー青、ピンク等)の恐らく殆どすべては目撃し、胸元からのデカ乳首視姦も日常茶飯事、と言う日々を過ごしました。そんな中、T子さんがもっとも他人に見られたくなく、ご主人にも見せた事がない場面を視姦する機会にも恵まれました。それは、排便です。当時住んでいた団地には集会所と称する建物があり、30畳ほどの板張りの多目的ルームと管理人室、団地の住人から寄せられた本を貸し出す棚、それにトイレがありました。ある日の午後、学校帰りにその貸本棚を見に、集会所に寄りました。丁度、何かの集会で来ていたT子さんを見かけたのですが、向こうは私に気づかずそのままトイレに入って行きます。私は、本棚を漁る手を止め、周囲に人がいないのを確かめると、急いで同じトイレに、それでも足音を忍ばせて入りました。集会場は小さく、トイレは男女共同で、和式便器の個室が2つ並んでいるだけのものでした。トイレに入ると、個室のひとつは塞がっており、中からごそごそと衣擦れが聞こえます。T子さんがスカートをたくしあげ、パンティーをずり降ろしている音です。アドレナリンが放出した私は、そっと隣の個室に入り、音をたてぬようドアを閉じ鍵をかけて、おもむろに床にはいつくばりました。二つの個室を隔てる壁は、下に10㎝ほどの隙間があります。トイレ」盗撮への警戒が強い昨今考えられぬ事ですが、当時は掃除の利便性を重視した為なのか、そのように隔壁下部の隙間が大きなトイレばかりだったように記憶しております。ともあれ、それが奏功し、床に頬をつけると、目の前にT子さんの豊満な尻がありました。乳首より濃い茶色に変色した肛門がひくひくと動いています。ぶしゃぁぁぁぁ…激しく音を立てて小水が迸ったかと思うと、肛門が盛り上がり、まるで噴火寸前の火山の様相を呈し、むりむりむり…とかすかな音と共に、褐色の大便の頭が顔を出しました。「ふ、う、うんッ…」と、T子さんの切なげな吐息が響き、その声に股間が硬く反応した私が見守る中、ゆっくりとひり出されつつあったウンコは、いきなりブポ、と音を立ててドチャン、と便器の中に落ちました。それは、直径5㎝長さ30㎝もあるような、極太巨大便でした。どうやらその極太が栓をしていたらしく、そこから数分間に渡って、T子さんの肛門は閉じる事を忘れ、のべつ間もなく、茶褐色の物体を噴出し続けました。その間、トイレには、ビボポブブーッブリブリプゥゥゥブリィブリリリリ…と、排泄音が響き渡りました。漂う臭気は本来なら耐えがた悪臭のはずですが、その時の私にはそれすらT子さんの一部であると感じられ、胸いっぱい吸い込みこそすれ、不快な感情は一切ありませんでした。私は必死になって股間をしごき、僅かな時間に何度か射精しました。しかし、よほど宿便が溜まっていたのでしょう、その後もブリブリブリブリと排便を続けていたT子さんの肛門がやっと閉じる頃には、和式便器一杯にウ○コが積み上げられておりました。排便が終了するまで、私はまた数度射精しておりました。私は、T子さんの、絶対人に見られたくない姿態、それも、清楚な母親の顔をして、あんなに大量の汚物を生産し排出したのを目撃しながら何度も何度も放出した満足感にそそくさとトイレを出て、本棚に戻りました。それから、15分も経ってから、ようやくT子さんはトイレから出てきました、途中、何度も水を流す音が聞こえていたので、あの大量便を流しきるのにそれだけの時間を要したのでしょう。私に気付いたT子さんと挨拶を交わしましたが、さっきあんなに大量の汚物を生み出したとは思えない程、普段どおりの表情でした。その表情に、私の股間は再び硬くなりました。さて、T子さんの全裸どころか、大量便の排泄まで目の当たりにし、彼女の全てを征服した気になり、有頂天だった私でしたが、T子さんは私だけの視姦ペットではなかったのです。ある日、学校帰りに、胸元が緩いシャツと、やや短めのスカートを着たT子さんを見つけ、また焦茶ぶっと乳首でも見せてもらおうと、後をつけて近所の商店街に入った私。そこで、T子さんは店々の男たちの視姦に晒されていたのです。八百屋では、T子さんが来るや否や若い店員や店主までもが周りを取り囲み、浮き出た乳首を堪能する間もなく「ほら、奥さん、この大根…」などと誘導して前かがみにさせ、開いた胸元に血走らせた視線を突き刺し、明らかにあのぶっとい焦茶乳首を視姦しまくっておりました。それも3~4人同時に。それだけならまだしも、その内一人はそそくさとT子さんの後ろに周り、そっとスカートのすそ摘み上げたかと思うと、その下に顔を差し入れ、堂々とパンティーを覗き込む始末。いくら、昼過ぎ時の他に客がいない時間とはいえやりすぎです。おおらかで人の良いT子さんは、連中の邪心と行為に全く気づかず、言われるがまま、屈んだり、しゃがんだり。ああ、しゃがんでるまん前に八百屋の店主が!!明らかにT子さんのパンティーを凝視しています!!魚屋でも雑貨店でも同じで、商店街の男共はよってたかってT子さんを目で犯しまくっておりました。
    途中、T子さんが本屋に立ち寄り、婦人雑誌を立ち読みし始めると、周囲にいた制服姿の男子中高生が4・5人寄って来て周りを囲むと、ポケットから出した小さな鏡を我先にとT子さんのスカートの下に差し入れます。T子さんは、何人もの子供に、パンティーを盗み見られているのです。T子さんのパンティー鑑賞にあぶれた中高生の何人かは、息がかかるほどの至近距離でじっくりと胸ポチを見つめ続け、本を探すのにT子さんがちょっとでも屈むと、顔を直近まで近づけ、乳首を視姦しておりました。これは明らかに待ち伏せで、大体この時間に彼女が本屋に来る事を知っての所業です。その証拠に、T子さんが本屋を出た後、中学生達が「今日も来たな、あのおばさん。今日は水色のパンティーだったな!!じーくっり、見たぜ!!」 「俺は、乳首見えた!!あのおばさん、いっつもノーブラだから、見られても仕方ないよな!!」 「あー、あのおっぱい揉みてぇー!!あの乳首吸いてぇー!!」 とニヤニヤしなが話していたのです。団地の草刈の日などは、はりきって参加したT子さんの周りには常におじさん達の姿が絶えず、入れ替わり立ち替りに乳首やパンティーを視姦していました。何せ、T子さんは薄手のワンピースと言ういでたちで、屈むと乳首が見え、しゃがむとパンティーが見えると言う状態だったので無理もありません。挙句の果てに、高い枝を切る、と言う大義名分で。脚立の上に登らされたT子さんは、真下から何人ものおじさん達にパンティーをのぞかれておりました。(私もその中に混じりましたが。真っ白な木綿のパンティーでした。)こうして、T子さんは毎日毎日、商店街や団地住人のオヤジや中高生に、乳首やパンティーを見まくられていたのです。よく考えれば、それはそうです。やや背が高く、身体は引き締まった人妻が毎日ノーブラであるいていたら、男の目を惹くのは当たり前でしょう…。「子ども会」の役員をやっていたT子さん。その「子ども会」のイベントでは、子ども達の視姦に晒されるどころか、半ば本当に犯される寸前の状況に追い込まれておりました。私が6年生の夏休みに、学校のプールを借りて低学年の子ども達向けにスイミングスクールを開く企画があり、我々高学年の子も手伝いに駆り出されました。コーチの一人にはT子さんがおり、私はT子さんのグループをサポートをしました。競泳水着に身を包んだT子さんは、やはり乳首を突出させ、股間に縦溝を食い込ませていたものですから、高学年の子を中心に子ども達の目を釘付けにしておりました。特に、水からあがったばかりのT子さんは、水着が赤く透けやすかったので、殆ど全裸状態。プールにいた男子のほぼ全員が、そんなT子さんを見て、小さな股間を硬くしておりました。そんな状態の中で、自由時間にプール内でおしくら饅頭を始めたものですから、男子はT子さんに殺到。四方八方から小さな手が伸び、乳房は揉みまくられ。乳首はいくつもの手でしごかれ摘まれ、割れ目には何十本の指が擦り込まれ、尻肉は同じく揉みしだかれ…と言う状況でした。T子さんは、「やだぁ、エッチ!!みんなどこ触ってるのよー!!」などと呑気な嬌声をあげておりましたが、子供たちは真剣そのもの。我先にと、T子さんの身体に襲い掛かっております。かく言う私も、T子さんの真後ろにピッタリと寄り添い、むっちりとした尻の割れ目に強く股間をあてがい、激しく上下動しながらおっぱいを揉みまくり、乳首をこねくりまわしました。乳首は子ども達に散々弄ばれたせいかコリコリに勃起しており、直径2㎝・長さ4㎝ほどまで巨大化しておりました。私はT子さんの尻で射精をした後、調子に乗って前に回って水中に潜り、T子さんの割れ目に水着の上から下を這わせ、乳首と同じく勃起して巨大化した陰核を舌で転がし突き回し、更に大きくなった乳首をこれまた水着の上から吸いまくりました。いつか、T子さんとセッ○スしたい!!思春期が近づくにつれ、私の中にそんな想いが募ってくるのは当然でした。そして、その機会が訪れたのは、もうすぐ小学校を卒業する、と言う時期でした。週末のその夜、T子さん宅でうちの両親を交えた近所の人たちの飲み会がありました。友人と私は、私の家で遊んでおりました。夜も更ける頃、遊び疲れた友人はすやすやと寝入ってしまいました。私はそのまま本を読んだりしていたのですが、玄関が開閉する音がし、私の部屋に酔っ払ったT子さんが入ってきました。寝ている我が子を見て、「あら、寝ちゃったのね、この子。おばさんもここで寝ていい?まだみんな飲んでるんだけど、おばさん、お酒弱くて…もう寝たいのよ…」と言います。ドキドキしながらも私は、「じゃ、じゃあ、もうひとつお布団敷くよ」と言って、押入れから布団を出しました。友人を真ん中に、3人川の字になり電気を消すと程なく、T子さんの寝息が聞こえてきました。このチャンスを逃せない!!私は十分時間をあけると、おもむろに布団から出て、T子さんににじり寄りました。部屋の暖房は強くしてあります。これなら、裸にしても寒くて起きる事はありません。案の定、T子さんは布団をはだけております。厚手のスウェットの上下を着たT子さんでしたが、上がややめくれて、おへそを出しております。豆電球の下、それを見た私の理性は完全に消し飛びました。そっとスウェットの上をたくしあげ、T子さんの上半身を露出させました。小さな乳房は殆どまっ平らになっており、大きな乳首がちょこんと乗っかっています。私は無我夢中でおっぱいにむしゃぶりつき、乳首をチュウチュウと吸い上げました。同時に片手はおっぱいを揉み解し、もう片手はスウェットの下に差し入れて、割れ目をなぞりました。T子さんは熟睡しており、全く反応しません。チラと横目で友人を見て、「ごめん、これからお前のおかあさんに、いっぱい、いやらしい事する。許してな…。」と、心の中で謝りました。それから、スウェットの下をパンティーと一緒にずりさげ、脱がしてしまい、T子さんのむっちりとした太ももを大きく広げて、割れ目を指で押し広げて、初めて見るT子さんの大事な部分に口をあて、舌でかき回しました。そこはやがてとろとろと濡れてきて、私は陰核といい、蜜壷といい、肛門といい、手当たり次第に嘗め回しました。顔をあげると、いつしかT子さんは呼吸を乱しており、私は這いずり上がると、T子さんのぽってりとした唇を塞ぎました。口の中に舌を入れながらも、コリコリと尖ってきた乳首をこねくり、割れ目をかき回すのを忘れませんでした。堪らなくなった私は、硬くなり切ったものを、生まれて初めて、女性に挿入しました。中は熱く、柔らかく、ものの数秒で達しそうになった私は、あわてて引っこ抜いたとたんに、勢い良くほどばしらせてしまい、T子さんのお腹からおっぱいにかけて、ぶちまけてしまいました。それから私は、たぶん数時間に渡ってT子さんを犯し続けました。何度も何度も。中にだけは出しませんでしたが、その代わりに、T子さんは私の精子でドロドロになってしまいました。ようやく疲れて眠くなった私は、トイレットペーパーでT子さんを綺麗に拭きあげて、スウェットを元通りに整えました。その時、T子さんが目を閉じたままつぶやきました。「気持ちよかった?初めてがおばさんで良かったの?」と。私が言葉を失っていると、またT子さんは囁きました。「前から、○ちゃんがおばさんの事をエッチな目で見てるのに気づいてたのよ…。いっつも、おばさんの胸とか、スカートの中とか、見てたでしょ?いつか、こんな事をされるんじゃないかって思ってたけど、まさか、この子の横でなんて…。でも、おばさんも気持ちよかったよ。また今度、好きな事させてあげるね。-お休み…。」
    それはまるで寝言のようで、「おやすみなさい・・・」とし返せない私でした。それから、何度も、T子さんはさせてくれました中学に入って、友人が部活でいない時に。T子さんとセッ○スするため、私は部活に入らなかったほどでした。T子さんは、私のリクエストに良く応じてくれて、競泳水着を着たままさせてくれたり、入学式で着たフォーマルスーツを着て、綺麗にお化粧した状態でさせてくれたり。ある時は、夜中に学校に忍び込み、息子の机に全裸で座らせたり。子ども達が大勢遊ぶ公園で、ロングスカートでしゃがませて、衆目の中で人知れずにウ○コさせたり。最高のおもちゃでした。
    私だけでなく、地域全体の共有視姦対象だったT子さん。そして、私のおもちゃになってくれたT子さん。その後、父の転勤でその団地を離れた私は、それきりT子さんと一度も会っておりませんが、今でも深く心に残っているのです。

    高校生の頃ファミレスで皿洗いのアルバイトを始めました。
    同じ店に同級生のサトルのお袋さんのナミさんも勤めており数日後休憩時間が一緒になりました。
    ナミさんはちょっと太めで顔は普通のおばさん。
    休憩室で2人で食事を済ませた後、ナミさんは壁の大きな姿見で化粧を直しながら、ボクは雑誌を読みながら世間話をしていた。
    そのうちだんだん話がエロ系の話題になっていきました。
    「T君彼女はいるの?」
    「今はいません」
    「女の子とエッチな事したことは?」
    「ありますよ」
    「最近?」
    「いえ、3ヶ月くらい前です」
    「じゃー最近は自分でしてるんだ?」
    椅子から立ち上がりナミさんの後ろに回り両手で腰をつかんでバックの腰つきで自分の股間をナミさんのお尻に密着させて「そうですねーこんな風に…うは~やりたい」と言うとびっくりした様子で、
    「やーだこんなおばさんより若い子とでしょ?」と言いながら離れようとするので逃がさないように強く引き寄せ「ボク、マザコンだからおばさん大好きですよ」と耳元で囁いた。
    この時もう勃起状態だったモノをグイグイナミさんに押し付け耳元で「や ら せ て」と言い終わる前にスカートを捲り上げた。 【同級生の親【エッチ体験談】】の続きを読む

    今から数年前、夏の話。
    東京で1人暮らしをしていたオレのところに従妹のミカがやって来た。
    大学受験に備えて都内の予備校でやってる短期夏期講習を受けるために田舎から上京してきたのだ。
    彼女の親戚で都内に住んでいるのはオレだけだったので、オレのアパートから予備校に通うことになっていた。
    ミカの滞在期間は2週間、オレは待ち合わせの新宿駅まで彼女を迎えに行った。
    数年ぶりに会う高校の制服姿のミカは驚くほど可愛くなっていた。
    紺のブレザーに白いブラウス、襟元にはエンジ色の大きなリボン、グリーンチェックのスカートからは紺のハイソックスが見えていた。
    まるで「三井のリハOス」のCMに出てくるような黒髪の細身美少女がそこにいた。
    「シン兄ちゃん、久しぶりー」とミカは気さくに声をかけてきた。
    正直なところ、久しぶりに会うミカにオレは緊張していた。
    彼女の荷物はリュックとボストンバッグだけ、オレはバッグを持ってやりながら駅の構内へ向かった。
    何度か電車を乗り換え、ミカと話しながらアパートへ帰った。
    途中のファミレスで夕食を食べてから家に着いた、時間は夜の10時頃になっていた。
    明日から夏期講習が始まるミカはスグにシャワーを浴びて寝てしまった。
    シャワーから出てきた彼女はTシャツにジャージのズボン姿、ほんのりとブラジャーが透けて見えた。 【夏期講習上京物語【エッチ体験談】】の続きを読む

    父母の夜の営みに気づいたのはいつ頃か?小学校の頃は朝起きると、父親が母親の隣で寝ているのに気づく事があって???だったが、それが夫婦の営みに関係してると気がつくのは、中一になってからであった。例えば、朝早く起きる母親が着替えるのを床の中から見ていると、寝間着の下に何も付けていなかったり、父の隣から起きてきたときがそうであったり、それが伏線になって私の中でなんでだ??の疑問符が広がっていったような気がする。そのうちに私は親の隣の部屋で一人寝起きするようになった。それから何日かしての夜、母親のはずんだような声が眠りにつこうとした私の耳に聞こえた。「あなた、やる?」父の返事は聞こえなかったが、私は直感的にどきっとして母親の言わんとする事を了解してしまった。ふすま一枚隔てただけだから、がさごそと重なり合う気配やフフ〜ン、へへ、ハア〜ッ、チュ〜バッ、ヒソヒソ、チュッ、
    チュッの言葉にならない気配は筒抜けに聞こえてきた。もう心臓がドキドキしてからだがこわばってしまった。そのうちに母親がうなされたようなため息を漏らし始め、イイそこ、いいよ、の声がはっきり聞こえ始め、おとうさん、もっとゆっくり、とか、ささやきが聞こえ始めたら、
    ミシミシ、が聞こえ始め、そのうちにふたりが激しく運動する気配がしたかと思うと「いい、いって、私いきそうよ」と蚊のなくような母親の声がした、と同時に臆面もなくミシミシグラグラ、ハッハッ、ミッシミッシ、隠しようもない気配がしたきり静寂が訪れた。
    しばらくして、母親が手洗いに立つ気配がした。初めて男と女のやる秘事に遭遇した私は朝まで眠れなかった。怒濤のような響きとむつみ合う囁きに我を忘れ、硬く硬く勃起したものを上向いたまま、今起こったことを追体験しながら、熱い精液を懸けふとんにぶちまけてしまっていた。それから、なんとか、声や気配だけでなく、おとことおんなのむつみ合う場面を見たいと思い続けるようになった。何せ、その頃は、マスコミにアソコの秘部どころか、オッパイすら載っていず、大人の入り口に立った中学生の好奇心を満たすものは夜中の父母のそれしかなかったのだから。

    【些事:痴辱】
     〝後バレ筒抜け〟と云う言葉が あるかどうかは判らないが、そうとでも…云うより無い 昔の辱しい思い出がある。それは 〝その時点では 自分だけの内面的な秘密で、他人には 判りっこ無い〟と思ったことが、後になると それは人間なら誰もが経験していることで、僅かな動作や表情からでも 容易に読み取れることだった…と云う〝突然 丸裸で街頭に立たされた〟ような、惨めな晒しものの 顔が熱くなる辱しさなのである。
    話は近親相姦めいた 未遂?の話だが、それには個人的な事情と 時代の背景がある。勿論悪いのは 自分で無知で無恥な行為なのだが、それは私の少年期の終わり… 青年期の入り口での話である。他の記事にも書いたことだが 私は幼児期に父を亡くし、お袋は 女手ひとつで私を育ててくれた。それに十代の後半は 戦争末期の言論統制から、戦後もまだ 性の解放など行われ無い、性情報の 乏しい時代であった。
     そのお袋も 大分前に亡くなったが、当時私は 十代前半の中学時代に精通を体験していたとは云え、まだ精神的には 子供だった。精通も 猥ノートの描写を盗み読んで射精したのだが、それは 頭の想像だけで、私自身 まだ身体で実際の女性との交接は経験してい無かったから、身体の芯から起こる 性の衝動に基づいたものでは無かった。話はそんな 赤ちゃんに毛が生えた程度の男が、寝床で お袋に甘えた処から始まる。
     昭和二十年代には 私は十代後半だった。家は焼け出され お袋はある大会社の男子寮の寮母を遣りながら、その部屋の一つの六畳間に 私と住んでいた。私はいつも 部屋の奥に床を延べて早めに横になるが、お袋は 11時頃まで寮生が話しに来ることがあるので、床を取らず 私の布団の左側に潜り込んで、身体を休め ウツラウツラしているのが日常だった。そんなある日私はふと 隣で寝ているお袋の乳に触りたくなった。
     戦災前は 私の家にはまだ自宅に風呂場が無く、銭湯に行くのに 身体が小さかったこともあり、中学の始め頃まで ときどきお袋と一緒に女湯に這入ることもあった。つまり私には お袋への異性意識は無いし お袋もまた小学生まで乳をシャブっていた私をいつまでも幼児扱いしていた。そんな情況である晩 例によってお袋が私の左側に寝ていた。私は 左側のお袋の方へ寝返って、横向きに まるで胎児のように丸くなっていた。
     膝を屈め両コブシを胸の前に合わせて お袋を見上げると、そこには懐かしい胸がある。お袋は眼を瞑っているので そのままそっと右手を伸ばし、少し寛げている胸の合わせ目に手を差し込んだら、途端に 「バカ ねぇ…」と云われた。ビクッとして手を止め 少し上目使いにお袋を見ると、お袋は 怒っているので無く、ニコニコと 笑っている。なんだ そういうことか…と 奥まで手を入れると 懐かしい軟らかく温かい乳が触った。
     そう… 思えばもう何年もこんなことをし無かったなぁ…と思う。お袋は真夏は アッパァパァと云っていたワンピースを着るが、その他の時季は 大概着物である。寝巻きは古い浴衣に 紐で無く、伊達巻と云う 細幅の柔らかい帯を締めている。そのときはまだ 本帯を解かずにいたので、胸は締まっていて 手は差し込むだけだったが、それでも素肌の胸は気持ち良く 私はそこに手を差し込んだまま、いつか 眠りに落ちて行った。
     一度そんなことがあってからは 毎回では無いが、私は寝ていて触りたくなると 勝手にお袋の胸に手を差し込んで、お袋の軟らかい胸の感触に安らぎながら 眠ることが多くなった。その内あるとき 少し着付けが弛んでいることがあって、差し込んだ右手で 乳房を包むように触ることが出来た。そうなれば当然 右手の中指が乳首に触れ、その乳首を横に転がしたり回し撫ぜたりして 人差し指や薬指の間に挟んで弄くることになる。
     その感触は 何故か気持ち良く、その内に私は それで安らぐよりも〝その感触を 愉しむ〟ようになった。あるとき ふと気が付くと、その最中に お袋の乳首が固くツンと立っていて、その触った手応えが また堪らなかった。触りながら ソッとお袋の顔を窺うと、眼を瞑り 固く口を結んで寝ている。まあ 寝ているのならイイか…と、私はそのまま指先で 〝お袋の知ら無い 私だけの勝手な愉しみ〟のツモリで手を動かし始めた。
     私も結婚後は 女房の乳房の反応を見たり、また他の女性の 自慰の告白を読んだりして、女性の乳房は 弄くられて平気なほど鈍感じゃ無い…と云うことが判ったが、自分が性的に未熟 という時期は怖いものだった。そのときは全く 〝眠ったお袋の乳で 密かに愉しんで〟いたツモリなのだから浅ハカである。ただ一回 その最中に、お袋が額に皺を寄せ 息を荒く口を半開きにしたので〝妙だな…〟と思ったことはあったが…。
     そんな〝私だけの 密かな愉しみ〟(のツモリ)は 更にエスカレートする。他の記事にも書いたが 私は精通後にマス…それも〝布団への 擦り付けマス〟が常習化していた。それまで流石に お袋と同衾しているときは控えていたが、あるとき お袋の乳首を弄っている内にペニスが固く勃って来るのに気付いた。そうなればもう 右手をお袋の懐に入れたまま、身体をうつ伏せにし 〝擦り付けマス〟をするより無いではないか…。
     当時の私は頭で 〝お袋は女だから 男の生理…、それも マスの掻き方など判るまい〟と思っていた。しかしこれも 結婚してからの実感は、この世に 私が存在すると云うことは、〝絶対に 親父とお袋がシコシコ腰を使った〟結果 なのだ。お袋がこの〝擦り付けマス〟を見れば 〝アッ マスだ!〟と判る筈なのである。その上お袋は 別項の「貞節」のように、自分もあのリズムでマスを掻いて 気持ち良くイッていたのである。
     だから この話はこうなる。始めお袋は こう考える。息子が十代後半になって 自分の乳に触って来た、〝しょうが無い 子だねぇ…〟〝でもそう云えば 何時から触ら無くなったのかしら…、ま…いいか 少し経てば本当に、もうこんなことは 出来無くなるんだし…〟〝アッ…イイ気持ち 乳首が立って来ちゃった…、でも息子は子供だし まだ女の生理は判ら無いだろうから…寝たフリをして…、アッ… もう濡れて来ちゃったじゃ…〟。
     〝アァ…ダメ あたしも アソコが弄りたくなっちゃったじゃない…、あらイヤだ この子オチンチンを布団に擦り付けているわ…〟〝だけど親子ねぇ… 死んだお父さんに腰の使い方がそっくりで…懐かしいわ〟〝あぁら… 息を荒くしてもうイクのね…、子供だと思っていたら 何時の間にかこんなことを覚えて…〟〝そう… あたしもシタイ…、この子と一緒に… 今なら一緒にイケるわね〟〝アッアツ…そうよ… あたしも今…アゥッ…〟。 【「性母‥懐マス」【エッチ体験談】】の続きを読む

    もう十数年前の話・・・・小学6年の後半
    家族と親戚とで関西方面の温泉に旅行に行きました。
    旅館での夕食からそのまま宴会みたいになり
    大人達は酒を飲んで騒いでしました。
    退屈になってきた子供連中はもう1度温泉に行く事になった。
    メンバーは親戚のおねぇさん(30歳)とその娘(5歳)僕と妹(10歳)の4人
    旅館内を色々探検した後、大浴場へ
    そこは男湯と女湯、そして家族湯の3箇所がありました。
    丁度、家族湯が開いていたのでみんなでそこに入る事になった。
    僕は何も迷う事無く入ったが、親戚のおねぇさんが浴衣を
    脱ぎだしたのを見て、全身に緊張が走った・・・・
    母親以外の女性の裸体を見るのは初めてだったから・・・・
    おねぇさんは僕に背中を向けて浴衣を脱ぎ、下着も全部脱いだ
    僕も緊張しながら服を脱ぎ、横目でおねぇさんの後姿をチラチラ見ていた。
    おねぇさんが娘が脱ぎ散らかした服を拾おうと 【こうすれば小さくなるよ【エッチ体験談】】の続きを読む

    仕事でその山間ちかくにいく時は、いつもその民宿を利用した。
    Fさんという話しずきの爺さんがいて、
    子供のころの事とか、おなじ話を何度もきかされた。
    Fさんは、母親の実家でばあさんに育てられたらしい。
    その実家には兄叔父と弟叔父がいて、
    兄叔父は知恵おくれで腕力だけ強くて、バカ叔父って呼んでた。
    バカ叔父は、うらの物置のかげでよくセンズリこいてて、
    Fさんは近所のガキ仲間と一緒にのぞいて笑った。
    時々、ばあさんが来て、そのままバカ叔父をつれて物置にはいった。
     「中でなにしてたんだか知らんけどよー、
      バカでも男は男だし、
      ばあさんになっても、あそこは女だよなぁー」
    弟叔父はまともだった。弟叔父には嫁がきた。
    そこの風呂は土間の隅にあって、仕切もなくて、
    風呂に入るときは、家族のまえで裸になるのがあたり前だった。 【何度も聞かされた話【エッチ体験談】】の続きを読む

    入院して膵臓炎の精密検査を受けることになった。
    その検査で血管造影による検査で、それは股関節にある動脈にカテーテルを入れて造影剤を入れるという
    検査の前日「ばい菌予防に剃毛します」と云われ、呼ばれて処置室に行くと看護婦さんが
    「そこの寝台に仰向けになって寝て下さい」
    「脚はだらりと下げて下さい」
    言われる通りに措置台に仰向けになる。だらりと下げた足下に看護婦さんがしゃがみ込んで
    「下着をずらして下さい」
    パンツをずらす、妻にしか見せたことのないチンポが看護婦さんに曝された
    そんなとこを平常心の時に見られるのは男でも恥ずかしい
    意識しないようにする
    やがて柔らかい女の指先がチンポに触れその周りに石鹸が塗られる
    意識しないようにと思えば思うほどに意識してしまう
    まだ柔らかいチンポ… それが右に左に振られ石鹸が塗られた
    毛がじゃりじゃりと剃られはじめたが、じゃまなのだろう…。
    看護婦さんがそれを軽く掴んだ  【看護婦さんに剃毛されて【エッチ体験談】】の続きを読む

    時差ぼけがやっと収まった頃でした。
    見上げると青空は抜けるようで、
    プールサイドは古民家風のコテージに囲まれてて、時間はゆっくり過ぎてました。
    時々「オ飲物ハ、イカガデスカ」と日本語でボーイさんが回ってきます。
    このツアーは、姉とはお馴染みの方たちばかりで、
    高級エステとかアロマとか、私には夢みたいなことばかりでした。
    ブランドものの水着や帽子を、みなさん上手に着こなして、
    思い思いにパラソルの下で雑誌を読んだり、おしゃべりしたり。
    打楽器とボーカルだけの現地音楽の生演奏が始まりました。
    ショータイムですって、どこかで大声がして、
    ショートパンツ姿の少年がたくさん出てきて、並んで踊りはじめました。
    驚いちゃだめよって姉に言われてましたが、わたしには何が何やら。
    ただのダンスショーではなさそうでした。
    一人づつ踊りながら前に出て、
    腰をふりながら、海パンをめくってお持ち物をちらちら見せて、 【姉に誘われた旅行【エッチ体験談】】の続きを読む

     むかしの家はふすまで仕切られてて、夫婦の夜の営みも、ままならなかっただろう。それでもなんとかやりおおせたのは昔は子供がよふかしをしなかった、、、というよりおいらが過ごした昭和三十年代は夜更かしする材料がなかった。テレビの普及率も低く、12時には放送が終了していた。だいたい小学生で九時位ではなかったろうか。だから秘密の守れないふすまで仕切られた和室でも子供が寝入ってしまえばなんとかなった。?でもソレもさすが小学生までで、、、、子供が勃起しはじめたり、精通があるころになると、、狸寝入りの子供のすぐそばで夫婦の営みが執り行なわれる事となった。
    あの頃の子供の性の知識仕入れ先はテレビでも新聞でもなく、母親が読んでいた婦人雑誌が多かったようなきがする。終戦後国家主義から個人主義へと世相が代わり、家族計画なるものが出てきて夫にその方面で協力させつつ妻も性生活を享受することが肯定されるようになったので、主婦の雑誌にも避妊のやりかたと共に夫との性生活の手ほどきや相談記事が大手を?振って掲載され、性に興味を持ち始めた子供が親の留守等によく読んだものだった。かくいうおいらも、、、、。最近夫が後ろから挿入したがります、、とか、、私の性器にキスをしたりしますがだいじょうぶでしょうか?夫婦生活はどれほどの頻度で営むのが正常でしょうか?営みでどうしてもオルガスムスに達しないのですが、、、、とか
    夫の早漏を直すには、夫は明るいところでしたがるのですが、夫にカラダを触れられただけで局部が潤ってしまい、挿入前にお手洗いへ立つのでおっとがいやがります。とか、今なら話題にもならない事で秘事を想像し、包茎のチンポを硬くしてパンツを汚していたものである。あの頃はパンツもふとんの敷布も自慰で放出されたおいらの精液で黄色くなっていたのだが、母はソレに就いてなんにも言わなかった。そういう記事は大抵綴じ込みになっており開封しないと読めないようになっていた。それを開けられていたということは母もその事に関心を持っていたということで二重に興奮をそそる気持ちになるものだった。うちの母は専業だったけれど、助産婦、保健婦の資格を持っていたので実際のやり方は知っていたろうし、いつだったか、女性主体の避妊方法にペッサリーというものがあって、子宮口のゴム製のふたをして子が出来ないようにする。やり方なのだが、雑誌に片足をいすの上に上げ股を開いて女性がソレを膣の奥深く挿入する挿絵が載っていて、ソレを見て自慰を思わずしてしまった。多分うちの母も父がワンマンだったからコンドームなる煩わしいものを拒否して、男本意で生で交合したろうから、ペッサリーなるものを母も自分で付けていたと思う。、、、で、次回に中一まで同じ部屋で寝ていたおいらが遭遇した父母の営みについてまたおはなしします。

    このページのトップヘ

    アクセスランキング ブログパーツ